[history]
江戸中期の文化11年、酒造りを営んでいた相模屋二代目当主、堀切紋次郎は、きれいに澄んだ白みりんの醸造に成功しました。これが江戸市中で大人気となり、東名物(あずまめいぶつ)として、日本全土に広まりました。これが、今のマンジョウ本みりんです。
[location]
相模屋の白みりんが、その良質の味わいを産み出した背景には、醸造地である流山近県で生産されていた、名産のもち米とうるち米を使用していた点も大きかったといわれています。今も優秀な原料にこだわり、ゆっくり時間と手間をかけて熟成させる、昔ながらの醸造法で、マンジョウ本みりんを、1本、1本生み出しているのです。
[people]
創業以来、200年以上たった今、もちろん最新の機器により衛生面や製造の精度を高めてはいるものの、その基本技術に変わりはなく、小学校の教科書に「しょうゆは野田、みりんは流山」と取り上げられるほどの美味しさと伝統の製法を守り続けています。